Team East Wind Patagonia Expedition Race2016 報告会Report.1〜チリへ向けて〜
4月9日に行われたアドベンチャーレースTeam East Windのパタゴニアンエクスペディションレースの報告会に行ってきました!
2013年2月にパタゴニアンエクスペディションレースに参戦し、総合2位でゴール。2年連続の2位となる。2014年2015年と大会が開催されることはなく、2016年レースが再開されることが発表された。チームとしては5回目の挑戦となる。
田中正人選手はレース参戦を決めた2015年の春、まだ女性メンバーが決まっておらずチームトレーニング生の西井万智子選手をメンバーとして引き入れることを決意。
しかしながら、まだまだ実力不足でありかなりの不安を感じていた。
西井万智子選手をよく知る人からはことごとく反対と心配の声が上がる。
Team East Windのチームメンバーになるには条件がある。
勿論、人間の極限状態で行われるレース。世界で行われる大会であればなおのことその厳しさは増す。
チームトレーニングの本拠地は群馬県みなかみ町で行っている。
難易度の高い山々から30分ほどで登り下り出来る山、パドリング技術を身につられる湖や河川など自然の宝庫であるみなかみは東京に出るにも便利な土地柄でもある。
まずはその地で本格的なトレーニングを行う。
条件のなかで一番と言えるほど厳しいのが「カッパCLUBでのハイウォーターガイド」である。
カッパCLUBとは、みなかみ町でアウトドアツアーを行う会社でTeam East Windのメンバーが所属する会社でもある。
ハイウォーターガイドとは、春になると山間から雪解け水が利根川に流れ込み国内でも有名な激流のラフティングツアーが行われる場所となる。その河川の水量が多い時に下る技術のあるガイドをハイウォーターガイドという。
そのハイウォーターガイドになるには肉体的にも精神的にもかなり追い込まれる。
少し下るライン(場所)がズレるとボートは簡単にひっくり返り、乗車しているお客様は流されていってしまう。スリルを楽しめたらるスポーツだからこそ、レスキュートレーニングやリスクマネージメント、一緒に下るガイド同士の信頼関係は重要だ。
西井万智子選手には、チームトレーニングとともにアウトドアガイドとしてのスキルを身につけていくという状態が続いた。
本人にこの条件はどうなのか聞いてみた。
「仲間とのコミニュケーションを取っていくとの重要性や自身の視野範囲が広がった」と話し、アドベンチャーレースをしていく上で大切ことだと言った。
しかしながら、トレーニング中は自身を客観視するのも難しく、次から次へと降りかかる先輩からの教えや田中正人選手からの指導に苦しめられてただろう。
それでも絶やさない笑顔に「あの子は化けるよ」と話す人も居た。
田中正人選手もその厳しさを知っている。
かなりの苦労をすることは目に見えてわかっているが、彼女の成長が田中正人選手自身を成長させる格好の対象として責任感を持って真っ向から対峙していく決意をした。
話を戻し、パタゴニアンエクスペディションへの参戦は田中正人選手と田中陽希選手ともに5回目、山北道智選手は2回目、西井万智子は初めてとなる。
山北道智選手に以前、「今まで参戦した海外レースで一番地形的に楽しめたのはどこですか?」と聞いたところ「パタゴニアンエクスペディションレース」と即答で返ってきた。
2013年のレースでは充実したトレーニングと周りのサポートを得て挑戦し、手付かずの大自然を満喫することができたので、ブラジル大会との間隔の短さは気になりましたが思い切って出場を決断したと述べる。
出国前のわずか1ヶ月でチームトレーニングとレース準備に追われた。
今回、一番チームトレーニングに参加出来ず参戦となった田中陽希選手。
2014年にチーム活動から離れ日本百名山ひと筆書きに挑戦。続いて2015年日本二百名山ひと筆書きへ。本人としては二百名山への挑戦前にパタゴニアンエクスペディションレースへの出場を決めていたので、日程の調整や体調管理に苦労したもよう。
アドベンチャーレースのトレーニングはほぼ出来ず、かなりのブランクを抱えて行くことに大きな不安を抱えていた。
特に、マウンテンバイクの走力がガタ落ちしており西井万智子選手にも付いていけないほど。
報告会では話されなかったが、出発前のわずかな時間でのマウンテンバイクのトレーニング中ほとんどマウンテンバイクを漕いでいないにもかかわらずロードバイクに刺激され飛ばし過ぎた田中陽希選手はバテテしまい西井万智子選手に追い抜かれていったそうです…
11月のブラジル世界選手権での追い込み、12月は回復とマウンテンバイクトレーニングとロープ系の技術面の強化と初めての海外レースをブラジルというジャングルで経験した西井万智子選手は、自身の足りない技術や知識を短い時間内に詰め込むことに追われた。しかし、やってもやっても不安は拭いきれずに居たが、出発前の「準備に追われ、飛行機にちゃんと乗れたことで不安も緊張もその時は忘れていた」と言う。
なんとも西井万智子選手らしいコメントです。
山北道智選手は11月のブラジル大会中に第二子が生まれ、家族のために時間を割き、仕事を詰め込み調整に励んでいた。
チームキャプテンの田中正人選手は、いろいろな面で不安を拭い切れないままの出国となったがただただネガティヴ発言だけはチーム内でしないように気を付けたと語る。(多少ボヤいたようですが…)
出国前の慣例のカツ丼を食べて(田中陽希選手が食べたいから)、手荷物検査、出国、搭乗、離陸し、日本の真反対チリへと向かった。